straight,no chaser

百花撩乱/かるかん嫗

オーシャンズ8 窃盗と変身という魔法

誰でも心の中に自分のニューヨークを持っている。アメリカの52番目の州である日本に生まれた私たちは、映画、文学、漫画などのメディアを通して、ニューヨークに暴露し続けている。 

SATCの5th avenue、BANANAFISHのストリートキッズのたむろするブロンクスの路地、ティファニーの朝食(?)、ヤンキースタジアムのホットドッグ、セントラルパークのランニング、マンハッタンブリッジから見えるNY島だって脳裏に目に浮かぶ。・・・日本の農村風景と同様に、原風景としてのNYが叩き込まれているといってもいいほどだ。

 

OCEANS8は、ニューヨークにふさわしい物語だ。混沌として、猥雑で、なんでもありの街にふさわしい、いけないイカした夢のお話

 

ダニーオーシャンの妹、デビー・オーシャンとその相棒ルーが、8人の仲間と一緒に宝石略奪の計画を練る。アフリカン系ハッカー、中年のファッションデザイナー、コンサバ主婦の密売ブローカー・インド系宝石鑑定士、アジア系スリと、メンバーも個性的。

(個人的には、何でアジアンはいつもスリ役なのさ、と思うが・・・)

 

ターゲットは、カルティエの地下金庫に眠る秘宝「トゥーサン」。1931年にデザインされたカルティエコレクションの中でも最大級のダイヤネックレスで、重さは3kg、時価1億5千万の品。舞台は、NY最大のファッションの祭典、メットガラ。世紀の仕事にふさわしい華やかな舞台だ。

 

 シャープで影を帯びたサンドラブロックと、ロックテイスト全開のケイト・ブランシエットの二人の組み合わせが最高である。まさしくジョージ・クルーニーとブラッドピットに匹敵する眼福コンビ。魅力的な人間二人が並んでいると、単体をはるかにしのぐ増幅効果があるというスターやアイドルの鉄則を思い出した。これぞMOEでした。

 

特に、もうケイト・ブランシエット・the spremeである。ハンサム・ウーマンという言葉がぴったりのハードでクールなパンクファッション。パティ・スミスやデビッドボウイをモデルにしたらしいが、スリムなスカイブルーのパンツスーツに白シャツの深い開襟の狭間に何連にもつけられたたチョーカー。

そのチョーカーは、豹柄シャツの内側に滑り込んだり、革ジャンにあわせられたり、どれもそれはそれはスーパーウルトラハイパーかっこいい。

もう100万回つぶやかれた言葉だけど、抱かれたい、としか表現ができぬ。

カンヌとかパーティーで彼女と一緒になったセレブたちが、男性女性問わずデレデレの表情してるのも納得。

 

■NYとファッション

この映画の重要なモチーフはNYとファッション。

どちらもパワーに満ちている。

デビー達がが打ち合わせをする場面は、ニューヨークの名所がふんだんに使われていて目に楽しく、NYの街の活気が臨場感を生みだしている。

アップタウンの画廊のオープニングパーティー、バーグドルフ・グッドマンの香水売り場、クイーンズの蚤の市、世界一有名なチーズケーキの店ジュニアズ・デリ。まるで自分もNYを濶歩しているかのような気分になる。

 

そして、なんといってもメットガラ。

メトロポリタン美術館の服飾展覧会のオープニングパーティだが、ヴォーグの名物編集長アナ・ウィンターが資金調達のために企画したパーティーで、そのチケット代300万!

名だたる著名人・有名人が招待され、ファッション界のアカデミー賞とも呼ばれている。そのパーティーを模したシーンの豪華さに陶然とする。

 

Before トゥーサンの前のオーシャンズメンバーの洋服は、NYのリアルクローズ

METガラに侵入してひと仕事終えた後、招待客に紛れて逃走するのだが、そのときメンバー全員、パーティーにふさわしいとびきりゴージャスな装いに着替えて階段を優雅に下りてくる。そのbefore afterのギャップが素晴らしい。

ファッションによる変身の力、ファッションによるエンパワーメントを思い出す。

 

さらに、トゥーサンで大富豪になった後も、彼女たちが再びリアルクローズに戻っているのがいい。皆それぞれの夢をかなえているけれど、身なりはほとんど変わっていない。女優役のダフネは監督になってセクシーでセレブな装いをやめ、皮ジャンにジーンズという姿になっているほどだ。ファッションは金ではなく、スタイルだという美意識を感じる。

 

 

■怪盗を夢見た私たちの中の少女へ

私が大好きだったシーンはMETに侵入し、それぞれが持ち場につき、いよいよ作戦開始という一瞬の凪のような時間。

バスルームから、デビー(サンドラブロック)はイヤホンでメンバーに向かって語りかける。

一緒にこの仕事に参加してくれて感謝している、と。

今日私たちは、私達のためにではなく、少女のためにやろう、と。

この街のどこかで、泥棒になることを夢見ている8歳の少女のためにやろう、と。

 

 

子供の頃、怪盗を夢見たことを思い出した。

私の世代だと、漫画で言えばキャッツアイ。ルパンに不二子ちゃん。

 

盗むということは、世界のかけらを自分のものにすることを意味する。

背丈もなく、一番上の棚にすら届かず、力では1つ上の姉にもかなわなかった少女の時。隣町にもいけず、おこづかいもなく、空想以外何も生み出せなかった頃。

 

盗むことは、できあがっている世界の一部をもぎ取ること。

道端の小石やまつぼっくりや、腐りかけている葉っぱをわざわざ持って帰ってクッキーの空き缶に入れたりするのも同じ。

土や花なら誰の所有でもない。けれど、自分たち達にはまだ見えない世界には、すでにたくさんの名前が書きこまれていて、それを自分のものにしようと思ったら、ちぎりとってくるしかない。

 

斉藤美奈子さんが見事に指摘しているように、アニメなどの物語で

女の子の国の魔法は、変身すること、盗むこと。

男の子の国の魔法は、戦うこと、征服すること。

 

この映画で、変身と泥棒という女の子の国の定番の魔法が使われていることは非常に興味深い。

大人になった彼女たちは、その常套手談を使って外側の世界に爪を立て、世界を自分のものにする。

 

 

シスターフッド

ルーことケイト・ブランシェット様は言う。

 「わざわざ侵入して、トゥーサン一つしか盗まない間抜けだと思う?」

 

この映画を見た後は胸張って自信満々に歩きたくなるとツイートしていた方がいたが、確かにこの映画にはパワーがある。

この映画に出てくる女性は、皆、不敵な笑みを浮かべる。

日本女性ではついぞ見ないタイプの笑いだ。

私が見た最後の記憶は細木数子先生の笑いかもしれない。 

 

チャレンジすること、恐れより体当たりすること。

なんとかなると信じること。

クールでいること。

世界を、自分のものにすること。密やかに。

 

 

映画パンフレットでは、女優たちがお互い育児の情報交換をしたり、ダンスを踊ったり、皆でとてもくつろいで仕事をした様子が伺えて嬉しくなる。

 「女性陣で絆をつくるためにやったことはありますか?」と聞かれたサンドラ・ブロックいわく 「ケーゲル・エクセサイズをやったわ! 女性ならみんなやるでしょう?」 

※骨盤体操 尿もれ、腟の引き締めの体操

 

 

ダニー・オーシャンの生還と、美しい世界を願って。